平尾奎太は腎臓の病気(IgA腎症)を克服!父親は甲子園経験者?【ドラフト2018 お母さんありがとう】

2018年のプロ野球ドラフト会議が10月25日にいよいよ行われますね!

プロ野球ファン、高校野球ファンもそうですが、ドラフト候補の本人やその家族、関係者たちもハラハラ、ドキドキといった一日でしょう。

注目は、甲子園史上初となる2度目の春夏連覇を達成した大阪桐蔭の根尾昂選手、藤原恭大選手や夏の甲子園で決勝まで一人で投げ抜いて話題になった金足農の力投を見せた吉田輝星選手など、今年は高校生の目玉選手がズラリと揃っています。

ドラフトといえば、TBS系で生放送されるドラフト特番ですよね。ドラフト候補選手にとっては運命の一日と言っていいでしょうから、視聴者側にも緊張感が伝わってきます。

そして、ドラフト会議の後は、恒例のドラフト特番『お母さん ありがとう』が放送されます。

今回は、この中で特集される平尾奎太投手について紹介していきたいと思います。

Sponsored Link

平尾奎太投手のプロフィール。父親は甲子園経験者?

まずは、平尾奎太投手のプロフィールからご紹介します。

Profile
名前:平尾奎太(ひらお けいた)
生年月日:1994年6月21日
出身:大阪府泉佐野市
身長:188cm
体重:88kg
投打:左投げ左打ち
経歴:泉佐野市立第一小学校→泉佐野市立佐野中学校→大阪桐蔭→同志社大学→Honda鈴鹿

身長188cmという、大型左腕の平尾奎太投手。
最速145km/hの角度とキレのあるストレートとスライダー、そしてチェンジアップを武器に多彩な変化球を操る社会人No1左腕です。

しかし、元々、子供の頃は右利きだったそうで、父親・健二さんのアドバイスでサウスポーに転向。実は平尾奎太投手の父親・健二さんは社会人野球NTT北陸で11年プレーしたという経歴があり高校時代は、あのダルビッシュ有も在籍した東北高校で甲子園出場も果しているようです。

野球をはじめたきっかけは父親の影響だったんですね。平尾奎太投手は、泉佐野第一小2年の時に泉佐野レッドスターズで野球を始めます。

大阪府大会では優勝、近畿大会準優勝という実績を残し、佐野中までは軟式野球でプレーしました。そして強豪 大阪桐蔭高に入学します。

高校時代は、2年春からベンチ入りし、3年時の2012年の甲子園大会で、春夏連覇を経験しましたが、この時は、エース・藤浪晋太郎投手(阪神)の控え投手としての起用だったようですね。

甲子園で春夏連覇と、順調な野球人生を送っていたように見えますが、高校2年の秋から、病気と闘いながら野球を続けていました。

高校2年の秋に腎臓の機能が低下する「IgA腎症」という病気が判明し、医師からは絶対安静を告げられ「野球を続けることは難しい」とマネジャー転向を勧められましたが、平尾奎太投手は、「完治が長引いてもいいので野球を続けたい」と母親に現役続行意思を伝え、病と闘いながら野球を続る覚悟を決めたんですね。

平尾奎太投手

平尾奎太投手が発症した難病「IgA腎症」ってどんな病気?

平尾奎太投手が発症した「IgA腎症」という病気は国指定の難病のようで、悪化すれば人工透析も必要になる病気とされています。

平尾奎太投手の場合は、手術をおこない、薬は5種類ほどの薬を1日10錠以上服用、食事制限などで体調面を維持しながらプレーしてきました。

この平尾奎太投手が発症した「IgA腎症」という病気はいったいどういった病気なんでしょうか。

ネットで調べてみましたが、生まれつきというものではなく、小学校高学年以降に突然発症する病のようです。

IgA腎症は、小学校高学年以後に多く発症する慢性糸球体腎炎の中で最も頻度の高い病気です。血尿と蛋白尿が続き学校検尿で発見されることが多いですが、真っ赤な尿(肉眼的血尿)で気づかれることもあります。腎臓には100万個の糸球体(尿を濾過する組織)があるのですが、その糸球体の中のメサンギウム領域という場所にIgAという抗体が沈着して、炎症を起こして、蛋白尿や血尿が出ます。異常なIgAは扁桃腺や骨髄で産生されていると言われていますが、その原因としてリンパ球の機能異常、細菌やウイルス感染症、遺伝的な素因などが言われています。10年以上の経過で腎不全に陥っていくこともあります。成人では20年で30~40%が、小児では15年で11%が末期腎不全(腎代替療法、すなわち透析か移植が必要になること)になります。特に蛋白尿の多い例、組織学的に重症な例が、腎不全になりやすいと言われています。寛解(蛋白尿と血尿を消失させること)させ、将来腎不全にならないようにすることが治療の目的です。

引用:国立成育医療研究センター

今まで、普通に元気に野球をおこなっていたのに、突然、病気と診断され、野球ができないと言われるのは、高校生の平尾奎太投手にとって耐えがたいショックだったと思います。

しかし、そこから母親と二人三脚の難病生活が始まり、3年の甲子園に再度出場したという、その病気を克服した方法や経緯や完治に至る経緯は何だったのでしょうか…

Sponsored Link

平尾奎太投手が病気を克服した方法や経緯は…

平尾奎太投手は2年生時の12月まで入退院を繰り返しチームの練習に参加できていませんでしたが、その間、チームは府大会、近畿大会と勝ち上がり春のセンバツ甲子園出場は有力視されていました。

入院中だった秋の大阪府大会中には、藤浪投手から直接電話があり、「俺がしっかり抑えるので大丈夫」と励ましの内容があったようで、チームメイトの言葉に元気づけられたようです。

これまで甲子園に出場するために治療を頑張ってきた平尾奎太投手は、医師に頼みこれ以上の本格的な治療は夏の甲子園が終わった後、3年の夏以降に延期ということになりました。

そういった経緯で、3年生春のセンバツ前に一度実践復帰しており、センバツでは背番号11をつけベンチ入りを果たしました。結局、まだ本調子でなかった為、試合に出ることはありませんでしたが、春夏連覇を達成し、平尾奎太投手の夢だった甲子園の舞台に立つことができたんですね。

また、闘病中は、大阪桐蔭の先輩、阪神の岩田稔投手にも支えられたようです。

実は、岩田稔投手も高校時代から病気で苦しみ、病と闘いながら野球を続けたきたサウスポーです。

岩田稔投手は、高校2年の冬に風邪を引いた際のウイルス感染が元で1型糖尿病を発症しましたが、それを乗り越えプロの世界でも活躍を続けています。

平尾奎太投手の病室を訪れた岩田投手は「病気っていうのは神様が乗り越えられる人にしか与えないもの」という言葉で励ましたそうで、それによって、平尾奎太投手も勇気づけられ、治療を続けていく原動力にもなったそうです。

大学は同志社大学へ入学し、入退院を繰り返しながら、平尾奎太投手が、完全に実践復帰できたのは大学3年の春でした。

やはり、病気を克服したのは、病院の先生、両親の支えや、監督、チームメイト、周囲の人たちの温かい協力に支えられてのものだったのかもしれませんね。平尾奎太投手の完治した経緯を辿ると、平尾奎太投手の野球の為なら絶対に諦めないという根性や人間性にも触れられ、どこか応援したくなってしまいますね。

Sponsored Link

野球ができる幸せを実感

そして、平尾奎太投手は、3年春になり実践復帰後、中継ぎとしてリーグ戦デビューしています。

初先発となった、3年秋のリーグ戦・関学大2回戦では、8安打完封の好投でリーグ戦初勝利を記録し「グラウンドに立てるのが嬉しかった。野球ができる幸せを実感している」とコメントしています。

4年春のリーグ戦では8試合に登板し、3勝3敗、防御率2.66

4年秋のリーグ戦は、4勝1敗防御率1.38という好成績を収め、ベストナインを受賞しています。

大学卒業後は、Honda鈴鹿に入社。

1年目から先発を任されいきなり活躍を見せ、10月に行われた「第28回 BFA アジア選手権」では、社会人日本代表に選ばれ、優勝にも貢献しています。

是非、今回のドラフトでは指名が掛かってもらいたいですし、平尾奎太投手がプロの世界で活躍するところが見てみたいですね!

Sponsored Link

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です